【中編】 本の蟲 -side.A- (中)@souhyouuto


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次の日も、その次の日も、父親が出かけたのを見計らって、アニは塔へと向かった。

レギの言うとおり外国語なんて読めないし、専門用語なんてひとかけらも理解できない。読めたとしても、その本の内容が難しすぎて、誰かに読んであげるというよりは呪文を唱えるようなことになってしまうだろう。
それでもアニは、レギと一緒にいることに嬉しさを覚えていた。
レギもアニが塔へとこっそり来ることを、心配こそしていたものの、頭ごなしにとがめるようなこともしなかった。
いつものように黒い姿でソファーに腰掛け、膝の上に載せた本を愛でながら、アニを笑顔で迎えてくれた。
きっとレギも一人ではさびしいんだわ、と、アニは思っていた。

「レギ! レギ! 今日は本を読んであげる!」

アニは手慣れたように塔にするりと入り込んで、先にソファーに座っていたレギのもとへと駆け寄る。その脇には、読み込まれた一冊の本が携えられていた。

「おやおや、珍しいこともあるものだね」
「本っていっても、童話なの。でもきっと面白いわ。ね、聞きたい?」
「ふふ、もちろんだとも」

最近、父親は街へと出かけていくばかりで、あまり屋敷にはいない。
一昨日くらいに新しくやってきた助手のお姉さんも、――せっかく話し相手ができると思ったのに――ほとんど紹介がないままだ。
助手の数は、アニがこの屋敷に連れてこられた時には四人いたはずだったのだが、今では半分の二人に減っていた。いつ、どうして辞めてしまったのかは知らないが、そのせいで父親の仕事の量がより多くなったらしい。
そのおかげで、アニはほぼ毎日のようにレギのもとへと通うことができた。

「じゃあ読んであげる!」

アニは上機嫌に答えて、レギの横へと腰掛ける。
レギはアニの持ってきた本にすっと手を伸ばし、その擦り切れている表紙や紙をおそるおそる撫でた。

「ずいぶん読み込んでいるね。……もしかして、とても大切な本なのかい?」
「ママが六歳の誕生日に買ってくれたの。『アニが、本を大好きな女の子になってくれますように』って、裏表紙に書いてあるのよ」
「アニは……、お母さんが大好きなんだね」
「大好き! 世界中で、いっちばん大好きな人よ!」
「ふむ」

レギは口角を少しだけ上げて、ほほ笑むようにしてアニを見ていた。
アニはそれを見て、ちょっとこそばゆいような、泣きだしたいような気持にかられた。
でも急に泣いてしまったらレギはきっと困るに違いない。
急いで本の表紙を開き、いつか母親が読み聞かせてくれたように、物語を読み始める。


むかしむかし、あるところに、小さな国がありました。
その国には、王様と女王様、そして王子様がいました。
民衆は毎日毎日、畑仕事や牛や馬の世話などに追われていましたが、それでも、戦争もなく、とても住みやすい国だと言っていました。

ある日、山を挟んだ隣の国から、三人の使者が馬に乗ってやってきました。

「国王陛下の仰せにより、友好の証として、献上品を持ってまいりました。ぜひあなたがたの国王にお会いして、お受け取りいただきたいのですが」

使者の一人が、そう高らかに門番に言いました。
商人以外の訪問者を通したことなどほとんどありませんでしたので、門番たちは慌てふためきました。
王様に使者が来たことを知らせようと走り出して何度もこけた者もいましたし、それを見てオオカミか何かが入ってきたのかと家に逃げ込む者もいましたし、ともかく国中が大騒ぎになりました。

王様は、

「はて、山向こうに国などあっただろうか……」

と、首をかしげましたが、駆け込んできた門番に、

「失礼のないように、お連れしなさい」

そう言いました。
しばらくして、三人の使者がお城へとやってきました。
使者の一人が、運んできた頑丈そうな箱から一つの王冠を取りだして、

「我が国の国王陛下より、友好の証として、この王冠を届けるよう仰せつかってまいりました。どうぞ、お受け取りください」

王様の前に王冠を差し出しました。
王冠にはたくさんのガラスや金銀の細工がなされていて、紅色のベルベット生地の上できらきらと輝いていました。
それらはとても年月が経った年代物のようにも、とても特別なものにも見えました。

「恥ずかしながら、私たちはあなたがたの国があったことも知りませんでした。そんな国の王に、そのように素晴らしい冠を受け取る権利などありましょうか」

渋る王様に、使者は言います。

「私たちの国は新しくできたばかりですから、ご存じないのも仕方ありません。だからこそ、この王冠を受取っていただきたいのです。我が国は、あなたがたと友好な関係でいたいということを、分かっていただきたいだけなのです」

そう言われてしまっては、王様も断ることはできません。
王冠の入った箱を王様が受け取ったのを見守ると、三人の使者は満足そうな笑顔で帰って行きました。

そうして、この国に、一つの王冠がやってきました。

民衆にとっては物珍しいものでしたので、毎日毎日お城へと、王冠を一目見ようとやってくる者が絶えませんでした。
これでは仕事が手に付かないのではと心配した王様と女王様は、王冠と一緒に国中を回ることにしました。民衆の畑や家や仕事場を一つ一つ周り、王冠をじっくり見させてあげることにしたのです。
それには民衆は大喜びしましたし、王冠をかぶった姿を褒められる王様も、内心まんざらではありませんでした。

それから数年が経ち、王冠がそれほど珍しくなくなって、王様の頭の上にもなじんできた頃。
夕食の最中に王子様が、思い出したようにぽつりと言いました。

「そういえば、あの王冠はしゃべるんだね」

今日の夕食は、じっくりことこと煮込まれた野菜たっぷりのビーフシチューに、焼きたてのパンがいくつか。それと、今日収穫されたばかりの果物もありました。
王様は、ほくほくのジャガイモが口の中でじんわりと甘さをにじみ出しながらルーとともに溶けていくことに小さな幸せを感じていましたが、王子様の言葉でスプーンを机の上に置きました。

「息子よ、何を言っているのだ。王冠がしゃべるなどありえないだろう?」
「ぼくだって、初めはただの聞き間違いだと思ってたけど……、でも、何度も聞こえるんだ。あの王冠は、確かにしゃべるんだよ。ほんとだよ」

笑いながら否定する王様に、王子様は口を尖らせて言いました。
二人のやり取りを見ていただけの女王様が、ナプキンで口を拭って、

「どうしてまた、そんなことを言うのです」

と、尋ねました。
王子様の説明によると――、

王冠がしゃべれることが分かったのは、三日ほど前のことだそうです。
ここ数日、王子様は何か王様の役に立ちたいと、家政婦さんたちと一緒に仕事をしていました。料理の下ごしらえも洗濯も満足にできない王子様は、お城の、とくに王座がある部屋を掃除していました。
掃除の時間帯は、王様は王冠を置いて果樹園へと出かけていきます。
その部屋はほとんど使われていませんので、一通り雑巾をかけてしまえば、すぐにぴかぴかになってしまいます。
つまり、その置き去りになっている王冠をきれいに磨き上げるのが、王子様に与えられた、一番大切なお仕事でした。
ガラスや金銀の細工を傷つけないよう、そっと磨き上げることは王子様にとってはひと苦労でした。でも、それでこそ達成感が得られるというものです。
王様の頭上でより美しく輝くようにと、王座に座りながら磨いていた時、

『……ふん。こんな安物のガラスが、これ以上光るはずがあるまい』

そんなしゃがれた声が、どこからともなく響いてきました。
王子様は体をびくりと震わせ、きょろきょろと辺りを見回しましたが、どこにも人影はありません。
この城にいる兵士や家政婦さんたちの声は覚えていたので、聞いたことのない声に、王子様はすっかりすくみ上がってしまいました。

「……だ、誰? 誰かいるの?」

震える声を何とかしぼり出しても、返事はありません。
よけいに怖くなった王子様は、ぎゅっと王冠を握りしめました。

『痛たたたたっ!』
「ひぅっ!」
『あだだっ! そ、そこはやめてくれ、折れたらどうしてくれる!』

王子様は半泣きになりながら、王冠を顔の前まで持ち上げます。
すると、王冠のガラス細工はぎらぎらと王子様を睨みつけるように輝き、ベルベッドの紅色の布地はおじいさんの口元のようにしわくちゃにひんまがっています。
もう何がなんだか分からなくなって、この恐怖もろとも王冠を投げ捨ててしまいたい衝動に駆られましたが、王子様はぐっとこらえて尋ねました。

「……君が? しゃべってる、の?」
『そうとも! そうだとも、少年! おどろくのもむりはない。我輩はそんじょそこらの装飾品とは一線をかく、しゃべることのできる王冠なのだ。どうだ? すばらしいであろう? いやしかしながら、しゃべれるとはいっても、誰かとこうして会話をしたのは久方ぶりのことであるな。どうも布が絡まっていかん。……ふん。そういう意味では、先ほどの悪態を許してやらんでもないわ』

ベルベッドの布地をぐねぐねと複雑に動かしながら、王冠はしゃべり続けます。

「……、ぼく、夢でも見てるのかな……」
『たわけが! 何をふざけたことをぬかしておるのだ! 男児たるもの、現実をしかとその眼に、髄骨に、刻みこまんか!』
「ご、ごめんなさい!」

そんなこんなで、王冠は唐突にしゃべり始めたそうです。
王冠がしゃべるなんてきっと白昼夢か何かかと思っていた王子様でしたが、その日以来、王冠を磨くたびに

『そこはもっと重点的に』

とか、

『そこはやさしく』

などとしゃべりかけてきたので、無視はできなくなっていたのでした。

そこまで話し終えて、王子様は紅茶に口を付けました。ぬるくなってしまっていたものの、ほっとするような甘さが口いっぱいに広がります。
王子様がふと顔を上げると、女王様はくすくすと笑っていましたが、王様は顔を真っ赤にさせて体を小刻みに震わせていました。

「……あの王冠は……隣国との友好の証に頂いたものだ……。それを……それをしゃべるなど……」

しまった、と、王子様が言い訳を口にする間もなく、

「お前のようなものは一族の恥だ! そんなことが言えなくなるまで地下牢で頭を冷やしてこい! 今すぐにだ!」

王様はごつごつした拳でテーブルを叩きながら、雷のような大声で怒鳴りました。
スプーンにフォーク、まだビーフシチューが残っている食器に、パンと、パンの乗っていた入れ物、果物、紅茶に紅茶カップに砂糖の容器にミルク入れ……。テーブルの上に乗っていたほとんどの物が、盛大な音を立てて飛び上がりました。
その音を聞いて駆けてきた兵士たちに、王様は言いつけました。

「息子を今すぐ地下牢へ連れて行け!」

女王様が小さく首を振ったのを見た王子様は、珍しく激怒している王様にびくびくしている兵士の先を歩いて、地下牢へと向かいました。

「あんなこと、言わなきゃよかった……」

地下牢の奥、まだ使われたことのない独房で、王子様は呟きます。
独房はその狭さと寒さに目をつむれば、さほど居づらい所ではありませんでした。
ただ、備品は今にも朽ち果てそうでした。
ネズミに脚をかじられたイスやテーブルは、今にも崩れてしまいそうだというのに、兵士や家政婦さんが次々に持ってきてくれるロウソクやお菓子や紅茶セットや本やらに、ぎいぎいと悲鳴を上げていました。
王子様は身震いして、石で造られたベッドの上に、これまた大量の毛布に埋もれるようにして座りこみます。

「…………、あーあ……」

こうなってしまえば、王様の怒りが静まるのを待つしかありません。
王子様はごろりと横になってお菓子をほおばっていました。
絵本もいくつか持ってきてくれていたのですが、ロウソクの灯りだけでは目を悪くしてしまいそうです。
壁の上には小さな通気孔が開いていて、そこからひんやりとした夜の風が滑り込んできます。
王子様はその風で揺らめくロウソクの灯や、溶けていく様子を眺めたり、たまに来るネズミにお菓子を分けてあげたりしていました。
しかし、温かい毛布に包まれて、いつの間にかすやすやと眠ってしまっていました。

どれだけ眠ったのでしょうか。
通気孔からはまだ夜の風が吹いて来ていて、ロウソクはいつの間にか消えていました。
王子様は毛布から抜け出して、手さぐりでロウソクに火を付けます。
紅茶はすでに冷めきっていましたが、コップ一杯を飲み干して、もそもそと毛布に戻りました。
そのとき、地下牢の入り口から大きな音が聞こえました。
兵士やお手伝いさんが何か言っていますが、はっきりとは聞こえません。
その声が聞こえなくなるとともに、ごつごつと石畳を歩く音が地下牢に響きます。
王子様は誰が入ってきたのか分かりませんので、毛布の中でじっと声を殺していました。
独房の入り口に取り付けられた鉄格子のドアが開いて、誰かが入ってきます。
そして、イスが今までで一番大きな悲鳴を上げて軋みました。

「ひゃっ!」

王子様はその音の大きさに情けない声を出してしまいましたが、それでも、その誰かはしゃべろうともしません。
ゆらゆらと不安定に揺らめくロウソクが照らし出したのは、疲れきった表情をした王様でした。

「……、……ち、父上?」

王子様の声に答えるように、王様は口を開きました。

「……お前の言っていたことは、嘘ではなかったんだな」
「え?」

王様は目頭を抑えながら、大きくため息をつきました。
冷めきった紅茶を二杯、三杯とのどに流し込み、もう一度、イスにもたれかかりました。イスはもう限界だというように唸りましたが、なんとか壊れませんでした。

「今日、聞こえたよ……。ぼそぼそとかすれたような低い音が聞こえて……、最初は空耳か、虫の羽音かと思った。……だが違う。じゃあ兵士か家政婦たちの話し声かと思って、辺りを捜した。隣の部屋も探した。……だがそれも違う。じゃあこの音は何だ? この聞こえ続けている音は何だ? 私の耳がおかしくなったのか?」

王様は頭を抱えながらしゃべり続けます。

「……お前の話が頭をよぎって、王冠を外してみた。……音は聞こえなくなったよ。……なんて……気味の悪い……」

王様は、何度目かのため息をつきました。
その顔はいつもより老けて見えます。王子様は、そんな王様を、ただ見守ることしかできませんでした。

「……確かに……、あの王冠は、しゃべれるようだ」

王様はその一言だけ発すると、そのまま何もしゃべらなくなってしまいました。
ロウソクはほとんど溶けてしまい、今にも消えそうな灯りで王様と王子様を照らしています。
どうしたらいいのかと考えていると、また大きな音が入り口からしました。そしてかつかつという足音とともに、大きなランプを携えた女王様が独房にいた二人を叱りつけました。

「まったく、二人して、こんなところで油を売っている暇などないのですよ! 王様ももう気が済んだでしょう。さあ、さっさと上に戻りなさい!」

地下牢に響き渡る大声に、王子様はびくりと体を震わせました。
女王様の後ろから入ってきた使用人さんたちに手伝ってもらいながら、テーブルやベッドにあふれたものを抱え込みます。

「私は……、もう少し、ここにいる」
「あなた!」
「私は……、私は……」

しばらく拒み続けていた王様も、兵士によって強制的に連れて行かれました。
王子様は毛布を両手いっぱいに抱えながら、数時間ぶりの地上に出ました。たくさんのランプは、王子様の目が痛むほど明るく輝いていました。



翌日、
王様は今までどおりの生活を始めましたが、その頭には王冠はありませんでした。
しかし、いくら気味が悪いといっても捨てるようなこともできないため、立派に見えるように飾られました。
これですべてが元通りになると思っていましたが、ある日、王様が呟きました。

「耳が痛い……。ずっとあの声が頭の中で響いて、おかしくなりそうだ」

と。
王子様はその原因が分かっていましたが、どうすることもできないのも、分かっていました。
王様の顔色は日に日に悪くなり、二ヶ月もすると伏せがちになりました。
そんな王様の看病に追われていた女王様も具合を悪くしてしまい、二人とも寝込むようになってしまいました。

そして、数年もしないうちに、そろって死んでしまったのです。

後には、王子様と、あの王冠が残されました。




誰もが寝静まった夜中、王子様は、王座がある部屋にいました。
広い部屋には、王子様以外誰もいません。主を失ったイスは、とても寂しそうにも感じられます。
窓からは月の光が差し込んでいて、どこかで鳥が鳴く声も聞こえます。
王子様は飾られていた王冠を手に取り、王座に腰掛けました。
そして、王冠をゆっくりと頭に乗せました。

「久しぶりだね、王冠さん。僕のこと、覚えているかい?」

すっかり青年になってしまった王子様の声は、昔と違い、少しばかり低くなっていました。
誰かとしゃべりたかったのですが、しばらくたっても、王冠はなんの返事もしません。
やっぱり、あれは子供の妄想だったかな、と諦めかけた王子様の頭の上で、もぞりと王冠が動きました。

『……んんん、眠ってしまっていたか……。む? 貴様は誰だ?』
「……、こんばんは、王冠さん。君のことを磨いていたんだけど、覚えているかい?」
『むむ……? 覚えているとも。覚えているが……貴様があの少年だというのかね? ずいぶん背丈も声質も違っているではないか』

どうやら王冠は、長い間眠ってしまっていたようでした。
王子様はにじむ涙をぬぐいながら、王冠が知らないことをすべて伝えました。

「父上も母上も、君の声が原因で、死んじゃったんだ。だから、あとは僕しかいない。……僕と君しか、いなくなっちゃったんだ」

王子様が話し終わると、王冠はベルベッドの布地をもごもごと動かして、小さな声で言いました。

『我輩は……、ただ、誰かとしゃべりたかっただけなのだ……。ずっと箱の中で、一人だけの世界で……、寂しかったのだ』

消え入りそうな声に、王子様は王冠にそっと触れました。

「僕も一人だよ。たぶん、これからずっと一人だ。……僕にはこの国を治めるなんて大それたことできやしない。だから、こっそりこの国を抜け出して、どこか遠い国で暮らそうかと思ってる」
『そんなこと、子供にできるはずがない。それに我輩はどうするのだ。もしや、ここに置き去りにしていくとでもいうのかね?』

困ってしまった王子様に、王冠は、

『我輩は、しゃべれるだけではない。この国に必要な知識くらいなら、腐るほど持っておるわ。……つまり、我輩と一緒にこの国を治めればいい、ということだ』

と、とても簡単そうに言いました。



長い年月が過ぎました。
王子様は王様となり、あの王冠とともに国を治めていました。
王冠はあのとき言っていたように、この国に必要なことはすべて知っていました。
王子様も資料室に積んである本やメモを片っぱしから読んで、民衆のために寝る間も惜しんで勉強しました。

そして、ようやく仕事ぶりが安定してきた頃、どこかの国が攻めてきました。
他の国に攻められるなんて、ましてや戦争なんて、まったく経験がありません。農民や家畜は逃げまどい、兵士たちは武器を手にしているものの、自分たちより強い敵におどおどしています。
王様は慌てて王冠に駆け寄ります。

「王冠、ねぇ、王冠! どこかの国が急に攻めてきたんだ。農民を避難させるにも囲まれてるし、兵士は強そうな相手に怯えてしまってる! こんなとき、どう対処すればいいんだい?」

王冠は答えません。

「聞いているのかい? 君が教えてくれないと、僕は何もできないんだよ」
『……我輩は、戦争のやり方だけは知らん。だから、貴様に何も教えてやれんのだ』

それっきり、王冠はしゃべらなくなってしまいました。
王様がいくら話しかけても、振ったり小突いたりしてみても、何の反応もありません。

「そんな……」

王様は、その場にへたり込んでしまいました。
その間にも、敵兵たちはどんどん城へと近づいてきます。
民衆も兵士も逃げまどい、敵兵の弓と剣の前に、何もできないまま次々と倒れていきます。
手当たりしだい切り刻んで、田畑を焼き、家を焼き……、圧倒的な強さを持った敵兵たちは、小さな国を、あっという間に攻め落とします。
そしてとうとう、王様のいる王座まで、敵兵たちはやってきました。
血で真っ赤に染まった剣を前にしても、王様は微動だにしませんでした。
王様は王冠を手に、じっと敵兵たちを見つめて、

「一つ、教えてほしいことがあるんですが」

と、問いかけました。
彼らは顔を見合わせて、最後に一つくらいいいだろうと承諾しました。

「どうして、こんな王冠を、僕たちの国に送ったのですか?」

王様は、今、自分に剣を突き付けている敵兵の顔に見覚えがありました。
なぜなら、この王冠を届けに来た、使者の一人だったのですから。

「この国を攻め落とすためですよ、王様。この王冠は、そのためだけに作られたものなのですから」

こうして、小さな国は攻め落とされました。
後には、眠り続ける王様と、その腕の中で静かに輝く王冠が残りましたとさ。




「――、おしまい!」

読み終わった後、アニは誰かに本を読んであげるということが、これほど大変なものなのかと実感していた。
喉はからからで、頭もしびれて、なんだかベッドにつっぷして寝てしまいたいような気分だ。

「読んでくれてありがとう、アニ。とても面白かったよ」
「ほんと?」
「本当だとも。お疲れさま」

レギの繊細な手がアニの癖っ毛を梳いては、頬をくすぐる。

(まるで、よしよしされてる犬みたいだわ)

それでもレギの手は気持ちよくて、アニは目を閉じながら、おとなしく頭を撫でられていた。

「…………まぁ、バッドエンドだったけれどね」
「うーん……、私も最初、この本を読んでもらった時はびっくりしちゃったけど……。ママ、こういうお話が好きなの。他に買ってくれた本も、こんな感じのばっかりよ?」

レギはなんとも形容しがたい口元で微笑み、本を大事そうに抱えるアニを撫でつづける。

「ねぇ、レギ」
「うん? どうかしたかい?」
「私ね、レギにもっと本を読んであげたいの。…………レギのためだけじゃなくて、ママのためでもあるのよ。ママがせっかく本を好きになりますようにって贈ってくれたのに、私、ここに来てからまともに本を読んでいないわ。勉強もよ? お父様が、『お前は何もしなくていい』とか、『勉強なんてもってのほか』だなんて言って、私に何もさせようとはしてくれないの。……訳が分からないわ。…………お父様ってばどうしてそこまで、私に勉強をさせたくないのかしら……?」
「ふぅむ」
「そうよ。それに、『塔に近づくな』ってのも分からないわ。この塔が崩れちゃうわけでもなさそうだし……、最初はそう思ってたの。でも違うでしょ? ここには本がたくさんあるから、興味を持たないようにって遠ざけられてるだけなのかしら。…………ね、レギはどう思う?」

アニは少し顔を赤らめて、興奮したようにレギに詰め寄る。

「そうだね、アニはどうしたいんだい?」
「もちろん、もっといろんなことが知りたいわ!」
「それなら、アニの思う通りやってみるといい。…………きっと、アニのことが心配でそう言っているだけだろうが……束縛されてばかりでは、窮屈だろう。少しばかり反抗してみるのも、二人にとって、悪いことではないよ」

レギはやわらかな笑みを浮かべたまま、アニの頭を撫で続けた。
アニは瞼がとろんと重たくなり、レギの細い太ももに頭を預けた。
目を閉じながらレギの声を聞いていると、まるで母親の膝の上にいるような安心感に包まれた。この甘くて温かい香りは、太陽の匂いに似ているかもしれない。

「私のママね、ほんの数ヶ月前に、急にいなくなっちゃったの。ホントに急に。…………それまではここにある本みたいな、……とっても難しい論文とか、本とかとにらめっこしてたわ。……きっと、お父様と同じで、本が好きだったのね…………」

しだいに眠りへと落ちていくアニの体にガウンを掛けながら、レギは頬笑みを深くした。

「おやすみ、アニ。……よい夢を」







「や、やだ、寝ちゃった! レギ、今何時?」

アニが飛び起きると、そこは自分の部屋だった。

「……へ? あれ?」

ベッド下には履いていた靴がきっちり揃えられており、大切にしている本も枕元に置かれている。本には紙が一枚挟まれていて、乱雑で、左上に傾いた字で、

「ニ コ が か え つ て き そ う だ っ た か ら ベ ッ ド ま で は こ ん で お い た よ」

と、書かれていた。

「…………レギって器用なのね」

塔を見るためにベッドから抜け出そうとして、右膝近くの内股に何か付いていることに気が付いた。触ってみるとそれはゴミではなく、薄青色のシミ――青あざで、押すと鈍い痛みが走った。

(こんなところ、いつ打ったのかしら)

靴を履きながら考えるも、まったくもって覚えがない。
窓の外には茜色の空が広がっていて、小さな窓に夕焼けが反射して中の様子はまったく分からない。塔に絡みついたツタも反射で輝いていて、少し美しくも思えた。
街から延びる道には、父親が乗っているであろう馬車が、屋敷へと一定の速度で向かって来ていた。レギの言っていた通り、今日はいつもより早く帰ってきたらしい。
父親に知られずに済んだという安心とともに、一つの疑問が浮かんだ。

「そういえばレギ、どうやってここまで来たのかしら」

目が見えないはずなのに、アニを抱いてここまで来れるものなのだろうか?
そもそも、どうしてアニの部屋がここだと分かったのだろうか?
考えれば考えるほど思考は絡まって、答えはなかなか出そうになかった。



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