なつはだれもがゆめをみる@souhyouuto

小噺20150724


※本編とはなんら関係ありませんたぶん




***



静かな振動とともに、エレベーターは6階への扉を開いた。
1と閉と書かれたボタンを順番に押した斑は、学生鞄をあさりながらエレベーターを降りる。ぬいぐるみのような定期券入れ――緑と青色のツギハギがなされた、あまりかわいいいとは形容しがたいゾンビネコの顔型――を取り出して、小銭入れの中からカードキーを取り出す。
あたりはすっかり暗くなっていて、蛍光管にはカナブンかなにかががちがちと体当たりをかましては弾かれ落ちてもがいていた。斑はなんとなしに靴先でそのカナブンをひっくり返してやり、角部屋の鍵を開けて部屋に入る。

「ただいまー」

最近買ったばかりのスニーカーを脱ぎ捨てながら、鍵とドアロックをかける。

「……久万さーん?」

ここは斑の家ではない。
斑を実の娘のように世話を焼いてくれている、久万の住んでいるマンションの一室だ。
玄関にはいつものように久万の大きな黒い革靴があるのに、いつものようにおかえりの声が聞こえてこない。そういえば部屋の明かりもついていないし、夕飯の匂いもしてこない。寝てるのだろうか、と思った斑の鼻孔をいつもと違う香りがくすぐる。
斑はふむ、と一呼吸おいてから、玄関に置き去りにしようとしていた学生鞄を持ち直す。

(ほとんど置き勉してきたから、弁当箱と財布くらいしか入ってないな……)

まあないよりはマシか、と洗面所を左手に廊下を抜ける。
右側の二部屋の扉は開け放たれており、外からの涼しい風が流れ込んでくる。

「久万さーん、」

その風に乗って、久万の吸うタバコと、いつも使っている柔軟剤の匂いがする。玄関でした匂いは気のせいだったかな、と突き当りのLDK――くつろげる畳コーナーもある、最低限の家具しかそろっていない二十畳ちょっとの居間――へと続くドアノブに手をかける。

「……やっぱ寝てる」

そこには、四畳半ほどの畳の上で、しかめっ面で寝ている久万がいた。
斑は少し立ち止まった後、部屋の明かりは付けずに鞄を置いた。カウンターキッチンに向かい、手を洗いうがいをし、流れるように冷蔵庫を開ける。きゅうり、錦糸卵、トマトにハムを千切りにしたものがラップにかけられていて、上の段には三割引きのシールが張られた生めんタイプの冷麺の袋がある。どうやら今晩は冷やし中華にするようだ。
水切り台からコップを取り、冷えた麦茶をふたくちみくち飲みながら、久万が寝ている畳へと歩く。
暑いのかシャツをはだけさせて寝ている久万のそばに座り込み、どうやって起こしたものかと考える。たまに夢見が悪いと、誰かに寝込みを襲われたと勘違いして鉄拳が飛んでくるのだ。おいしく夕飯を食べたい斑としては、それは避けたいことだった。
とりあえずこの冷たいコップを、むき出しのおなかにでも付けてみるかと手を伸ばした瞬間、

「きゃー、まだらってばダイターン」

久万の声で、誰かがしゃべった。
身構えようとした体の動きよりも先に視線が捕えたのは、さっきまでしかめっ面で寝ていたはずの久万の満面の笑みだった。

「……、は?」

久万がにっこりと――どちらかといえば、長い間用のなかった表情筋まで使っているせいかすこし引きつっていたずらっぽい――ほほえみを見せている。
突然のことに典型例のようにショートした斑の脳は、手に持っていたコップをそのまま久万の腹へと解き放った。

「うっわ! ひゃー! つっめた!あかんあかん! タオルタオル!」
「……、だれ?」
「それよりタオルやって! タオル! 畳べったべたにしてみぃ、久万ちゃんかんかんやで!」

久万の体で慌てふためく動く久万でない誰かにまくしたてられ、斑はしぶしぶ洗面所へと急ぐ。


続く

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